かなりすごいブログ

人間のよさについて

おれはじぶんの「嫌いだ」といふ印象を信用しないことにしてゐる。その「嫌いだ」といふのは、たいていは相手の一部だけについて感じたり言ったりしてゐるので、相手の全人格のほうへ関心をのばせば考慮や納得のする根拠があるのがほとんどだ。さういふただ部分についてだけで「嫌いだ」といふ判断をするのは、間違ってゐるとおもふ。そんな判断の仕方は無くなるのが理想だとおもってゐる。常不軽菩薩のやうな超人になれといふのは言ひ過ぎで、「嫌い」なのは「嫌い」でいいんだ。だがそれには、全人格と全現在をかんがへなければならない。それを放棄したときにおれは死ぬ。ひとつずつ進んでゆくしかないのだとおもふ。 http://c4se.hatenablog.com/entry/2014/02/02/081234

私は、自分のことを省みてみろ、自分の子供だったころのことを考えてみろよ、という事で尽きますし、あとは吉本隆明さんが言っているのに付け加えることもないので、黙っています。 http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/07/05/200405

この点について私は恐らく、概ね同じような考えを持っていて、誰かと接する時、その相手が過去に何をやったであるとか、どういう欠点があるのだとか、そういった事柄で相手の人格を判断しないように、極力している。欠点があることや間違いを犯すのはあたりまえのことで、その点だけで相手を判断して交流を行う、もしくは行わないということをやっていると、なにか人間の「よさ」のようなものに対する感度が次第に鈍っていってしまう様に思える。そんな考えに至るのは自分の欠点に対する免罪符であると言われてしまえば完全には否定できない。そうかもしれない、と思う。でも、とにかくこの考え方が私にはしっくりくるし、合っているのだと思う。

これは私の生き方の指針であり自分の中で完結している問題であるので他人は関係なく、また広く同意を得られる様な考え方ではないと思っている。なので、私がこういった考え方をしているということを誰かに言ったり、文章にしたりすることはなかった。ところが、意外に身近な所からこういった文章が出てきたので、そういった価値観の人も少なくはないのかもしれない、と思い、つい文章にしてしまった。普段あまり文章を書かない人間なので考えや意図が正確に伝わる文章かはわからない。おわり。